国際刑事裁判所(ICC)の所長として、いま世界中から注目を集めている赤根智子さん。
プーチン大統領への逮捕状発付やロシアからの指名手配、さらにはアメリカからの制裁対象指定と、次から次へとニュースに登場しています。
そもそもどんな学歴・経歴を歩んできた方なのか、気になった方も多いはずです。
今回は出身高校や大学、そして夫や家族についても、私なりに詳しく調べてまとめてみました。
赤根智子所長ってどんな人?プロフィールを先にチェック
まずは赤根智子さんの基本プロフィールから、ざっくり押さえておきましょう。
年齢や出身地を知っておくと、このあとの経歴の話もぐっと頭に入りやすくなります。
- 名前:赤根智子(あかね ともこ)
- 生年月日:1956年6月28日
- 年齢:70歳(2026年8月19日時点)
- 出身地:愛知県名古屋市
- 出身高校:愛知県立旭丘高等学校
- 出身大学:東京大学法学部(1980年卒業)
- 留学先:アメリカ・ジャクソンヴィル州立大学大学院(刑事司法コース)
- 現職:国際刑事裁判所(ICC)所長
- ICC判事就任:2018年3月
- ICC所長就任:2024年3月11日(日本人として初)
こうして並べてみると、検事から国際機関のトップまで、キャリアの振れ幅がとにかく大きい方だということが伝わってきます。
ここからは、学歴・経歴・家族について、順番に詳しく見ていきますね。
赤根智子所長の学歴|出身高校は愛知県立旭丘高校
赤根智子さんがどんな学生時代を過ごしていたのか、まずは高校時代から見ていきましょう。
進学校・旭丘高校時代
赤根智子さんの出身高校は、愛知県名古屋市東区にある愛知県立旭丘高等学校です。
愛知県内でもトップクラスの公立進学校として知られていて、偏差値はおよそ59〜71と紹介されています。
卒業生には、最高裁判所の判事や検事総長を務めた法曹関係者が名を連ねており、法律の世界に進む人材を数多く輩出してきた学校なんですよね。
赤根智子さんは、この旭丘高校を1975年3月に卒業しています。
調べてみると、進学先の情報はあちこちで見かけるのですが、卒業年まできっちり書かれているケースは意外と少なく、地味に見落とされやすいポイントだと感じました。
東京大学法学部からアメリカ留学まで
旭丘高校を卒業した赤根智子さんは、1975年4月に東京大学教養学部文科一類へ入学しています。
1979年10月に司法試験へ合格し、1980年3月に東京大学法学部を卒業。
同年4月から司法修習生(34期)としての道を歩み始めました。
インタビューでは、大学3年生のときに裁判官を志望したものの、司法試験に合格したあとで検察官の道を選んだ、というエピソードも語られています。
「精神的にも経済的にも自立するために、男女関係なく力で仕事を続けられる仕事がいい」と考えたことがきっかけだったそうです。
なんだか、令和のいまでも十分に共感できる考え方やと思うんですよね。
その後、検事として7年目を迎えた1989年9月、赤根智子さんは休職してアメリカへ私費留学しています。
留学先はアラバマ州のジャクソンヴィル州立大学大学院で、1990年12月に刑事司法コースを修了。
1991年5月には仙台地方検察庁で検事に復帰しました。
当時32歳、しかも検事を休職しての私費留学というのは、相当思い切った決断だったのではないでしょうか。
赤根智子所長の経歴を年表でたどる|検事からICC所長まで
続いて、検事としてキャリアをスタートしてから、ICC所長になるまでの歩みを年表形式で整理してみました。
検事としてキャリアをスタート
1982年4月、赤根智子さんは横浜地方検察庁で検事に任官しました。
そこから名古屋、仙台、東京と、各地の地方検察庁を転々としながらキャリアを積んでいきます。
検事という仕事は2〜3年ごとの転勤がつきものだそうで、全国を渡り歩くような働き方だったようです。
国際協力の分野へ、ICC判事就任まで
アメリカ留学から戻ったあと、赤根智子さんの活動の軸は少しずつ国際協力の分野へと移っていきます。
1996年には法務省法務総合研究所の国際連合研修協力部で次長を務め、2002年には国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)の次長も兼任しました。
2005年ごろからは、名古屋大学大学院法学研究科の教授として、中京大学大学院法務研究科でも派遣検察官として教壇に立っています。
教える側にも回っていたというのは、地味にすごいことだと思うんですよね、これが。
2009年1月には国際協力部長に、2010年ごろには函館地方検察庁検事正に、2013年7月にはUNAFEI所長に、2014年7月には法務総合研究所長にと、要職を歴任していきました。
2016年には最高検察庁検事・外務省国際司法協力担当大使という肩書も加わっています。
そして2018年3月、日本人として3人目となる国際刑事裁判所(ICC)判事に就任し、予審裁判部門を担当することになります。
日本人初となるICC所長に就任
2024年3月11日、ICCの判事18人による投票の結果、赤根智子さんが裁判所長に選出されました。
日本人としては初めての就任で、外務大臣も談話を発表して歓迎しています。
任期は3年で、2027年3月まで(1回に限り再選可能)とされています。
さらに2025年には、著書『戦争犯罪と闘う:国際刑事裁判所は屈しない』(文藝春秋・文春新書)を刊行し、ご自身の考えを広く発信する活動もされています。
検事一筋のキャリアかと思いきや、教育・国際協力・執筆と、活動の幅が本当に広い方なんですよ。
プーチン大統領への逮捕状とロシアからの指名手配
赤根智子所長の名前が世界的に一気に知られるきっかけになったのが、ロシアをめぐる一連の出来事です。
赤根智子さんは2022年3月、ICC判事としてウクライナ情勢に伴う戦争犯罪等の捜査開始申立て事件を担当することになりました。
2023年3月、ICCはウクライナからの子ども連れ去りに関与した疑いで、プーチン大統領とマリア・リボワベロワ氏に対する逮捕状を発付しました。
赤根智子さんは、この逮捕状を出した3人の裁判官のうちの1人でした。
これを受けてロシア連邦捜査委員会は同年3月20日、ICCの主任検察官らとともに赤根智子さんへの捜査を始めたと発表。
さらに7月27日には、ロシア内務省が刑法違反の容疑で赤根智子さんを指名手配しています。
2025年12月12日には、モスクワの裁判所が欠席裁判を行い、赤根智子さんを含むICC判事9人に対して拘禁3年半から15年の判決を言い渡しました(赤根智子さんの刑期そのものは明らかにされていません)。
指名手配という重い状況の中でも、「裁判官が死んでも代わりがいる」という趣旨の発言を残していたと報じられていて、私はこの一言に、信念の強さのようなものを感じました。
アメリカ・トランプ政権が赤根智子所長を制裁対象に指定(2026年8月)
そして、この記事を書いている今まさに、赤根智子所長にとって新たな局面が動いています。
2026年8月18日、アメリカのトランプ政権は、赤根智子所長ともう1人(セネガル出身の上級法廷弁護士)を制裁対象に指定したと発表しました。
ルビオ国務長官は声明の中で、ICCについて「腐敗し、政治化された超国家的な裁判所」と主張し、「悪意を持って権限を乱用している」と批判しています。
出典:朝日新聞(Yahoo!ニュース)
この制裁により、アメリカ国内にある資産の凍結や、アメリカへの渡航禁止といった措置が科されることになります。
今回の措置で、ICCの判事18人のうち半数にあたる9人が、すでに何らかの形で制裁対象になっているという状況です。
背景には、イスラエルのネタニヤフ首相への逮捕状発付や、米兵の戦争犯罪をめぐる捜査へアメリカ側が反発していることがあるとされています。
一方でICC側や欧州諸国からは、司法の独立性を脅かすものだとして懸念の声も上がっている状況です。
正直なところ、これほど大きな国から立て続けに圧力を受け続けている状況を見ると、「大変な立場に立たれているな」と率直に感じます。
賛否が分かれる話題ではあるので、ここでは特定の立場に肩入れせず、起きている事実として押さえておきたいと思います。
赤根智子所長の夫や家族について調査してみた
ここまでの華やかなキャリアの裏で、赤根智子さんはどんな家庭生活を送ってきたのでしょうか。
結婚と娘の誕生
赤根智子さんは、司法修習生だった1980年前後に結婚し、その翌年に長女を出産したと語っています。
当時は司法修習生に対する産前産後休暇の制度が整っておらず、産後1か月ほどで仕事に復帰したそうです。
いまの感覚からすると考えられないほどのハードスケジュールですよね。
夫(旦那)についての情報
夫の実名や職業については、公表されている情報が見当たりませんでした。
ネット上では「同じ法曹関係の仕事をされていたのでは」という声も見かけますが、確認できる裏付けはありません。
司法修習生時代に出会って結婚したという経緯を考えると、同じ法律の道を歩む方だった可能性は十分にあるのではないか、というのが私の見立てです。
ただし、あくまで私の推測にとどまる話として受け止めていただければと思います。
シングルマザーとして歩んだキャリア
検事という仕事は2〜3年ごとに転勤があるため、娘さんの子育ては主に実家の両親に頼っていたようです。
法務総合研究所長時代のインタビューでは、「両親に育ててもらったほうが、娘のためであると割り切りました」という趣旨の発言も残しています。
その後、赤根智子さんは離婚し、現在は元夫という関係になっています。
娘さんの名前や年齢は公表されていませんが、結婚・出産の時期から逆算すると、現在は40代の後半あたりではないかと推測されています。
仕事と子育て、どちらも手を抜けない中で下してきた決断の重さは、同じように家庭と仕事の両立に悩む世代からすると、他人事とは思えない部分があるのではないでしょうか。
\気になる記事はこちらから⬇︎/
▶︎ 政治関連や気になる疑問記事をチェック
まとめ
最後に、この記事で分かったことを整理しておきますね。
- 赤根智子さんの出身高校は愛知県立旭丘高等学校(1975年3月卒業)
- 出身大学は東京大学法学部(1980年卒業)、アメリカのジャクソンヴィル州立大学大学院にも留学
- 1982年に検事任官後、国際協力の分野に軸足を移し、2018年にICC判事へ就任
- 2024年3月、日本人として初めてICC所長に選出された
- プーチン大統領への逮捕状発付を受け、ロシアから指名手配されている
- 2026年8月には、アメリカ・トランプ政権から制裁対象に指定された
- 司法修習生時代に結婚・出産したのち離婚し、娘の子育ては実家の両親に頼りながらキャリアを積んできた
こうして経歴を並べてみると、赤根智子さんという人は、法律の世界で着実にキャリアを積み上げながらも、要所要所で思い切った決断をしてきた方なんだと感じます。
私費でのアメリカ留学も、ICC所長という重責を引き受けたことも、簡単に真似できることではありません。
そして今も、大国からの圧力という決して穏やかではない状況の中で、所長としての役割を担い続けています。
これから先も、赤根智子さんの動向からは目が離せなさそうです。


コメント