新しい横浜市長に決まった原澤敦美さん。
ニュースでは「原沢あつみ」と書かれていて、「あれ、字が違う?」と首をかしげた方もいるかもしれません。
調べてみたら、桜蔭、慶應、JAL、弁護士、そしてミス横浜。
キーワードだけで、もう情報量がすごいんです。
この記事では、原澤敦美さんの学歴(大学・高校)や経歴、ミス横浜だった若い頃、旦那さんや子供といった家族構成まで、40代主婦の目線でじっくりまとめました。
名前の表記が2つある理由も、私なりに整理しています。
原澤敦美(原沢あつみ)とは?新しい横浜市長のプロフィール
まずは、原澤敦美さんがどんな人なのか、基本のプロフィールから見ていきます。
名前の表記がややこしい件も、ここでスッキリさせておきますね。
原澤敦美のプロフィール一覧
- 名前:原澤敦美(はらさわ あつみ)
- 選挙での表記:原沢あつみ
- 生年月日:1967年生まれ(誕生日は8月28日と紹介されています)
- 年齢:59歳(2026年10月19日時点)
- 出身:東京都大田区生まれ、3歳から横浜育ち
- 職業:弁護士
- 趣味:編み物、犬や猫の動画を見ること
東京生まれではあるものの、3歳で横浜に引っ越してからは、磯子区や金沢区などで約50年暮らしてきたそうです。
本人も横浜を「ふるさと」と呼んでいて、ほぼ生粋のハマっ子と言っていいと思います。
「原澤敦美」と「原沢あつみ」名前の表記が2つある理由
検索していて、まずつまずくのがここなんですよね。
選挙で届け出た名前は、ひらがな混じりの「原沢あつみ」。
一方で、企業の役員資料や公的な委員会の資料では、旧字体の「澤」を使った「原澤敦美」と書かれています。
新聞やテレビのニュースでは「原沢敦美」と、さらに中間の表記が使われることが多いんです。
本人の公式サイトにも、3つの表記がそろって登録されていました。
つまり、どれも同じ原澤敦美さんということになります。
ここからは私の予想なんですが、本来の表記は旧字体の「澤」で、選挙では書きやすさと読みやすさを優先して「沢」とひらがなを選んだのではないでしょうか。
だって投票用紙に「澤」、正直ちょっと書くの大変なんですよ。
画数、多すぎです。
横浜市長選で前市長らを破り初当選
前市長がパワハラ問題で辞職したことを受けた2026年10月18日の横浜市長選で、原沢あつみさんは初当選を果たしました。
立候補したのは7人。
横浜市選挙管理委員会の確定結果によると、原沢あつみさんの得票は552,207票。
得票率は39.49%で、次点の福山敦士さんの230,418票に2倍以上の差をつけています。
投票率は45.56%で、前回の41.64%を上回りました。
所属は無所属ですが、自民党・日本維新の会・国民民主党の県組織が推薦し、公明党の市議団が支持する形での選挙戦でした。
女性の横浜市長は、林文子さん以来2人目になります。
当選が決まったあとは、誰かの意見にとらわれず市民目線で考えたいこと、そして市職員の尊厳を取り戻したいことを語ったと報じられています。
原沢あつみの学歴|小学校から桜蔭高校まで
ここからは学歴を、小学校から順番に見ていきます。
子育て世代の私としては、このあたりが一番「ひえっ」となったポイントでした。
小学校は横浜国立大学の附属小
原沢あつみさんが通った小学校は、横浜国立大学教育学部附属横浜小学校です。
国立大学の附属小なので、入学には選考があります。
そこから中学・高校は、東京の桜蔭中学校・桜蔭高等学校へ。
桜蔭といえば、全国屈指の女子進学校として有名ですよね。
附属小から桜蔭。
中学受験をくぐり抜けたご家庭なら、この流れのすごさが身にしみるはずです。
……我が家の受験の話は、そっと横に置いておきます。
住まいは横浜のままだったので、中高の6年間は横浜から東京の学校へ通っていたことになりそうです。
市長選の政策で、本人は「東京が近いことが横浜への企業誘致に不利に働く面もあった」と書いていました。
私は、毎日東京と横浜を行き来した学生時代の感覚が、この「東京との距離感」を見る目を育てたのではないかと感じています。
原澤敦美の大学は慶應義塾大学理工学部応用化学科
原澤敦美さんの大学は、慶應義塾大学理工学部応用化学科です。
慶應の理工学部は日吉・矢上のキャンパスで、実はどちらも横浜市港北区にあるんですよ。
宮古島トライアスロンで初めて乗った飛行機が転機に
人生を変えたのは、大学2年生のときに出場した宮古島トライアスロンだったそうです。
その移動で、生まれて初めて飛行機に乗ったんだとか。
離陸の瞬間の感動は、今でも昨日のことのように思い出せると本人が語っています。
しかも当時は、50mしか泳げない状態での挑戦だったとも紹介されているんです。
50mでトライアスロン。
どんな度胸やねん、と思わずツッコみたくなります。
さらに、たまたまトライアスロンのコーチが航空整備士で、「理工学部なら整備士になれる」と教えてもらったそうです。
そこからは整備士一直線で、就職活動はJALと全日空の整備職しか受けなかったとのこと。
滑り止めという概念、どこへ行ったんでしょうか。
大学院修了後、社会人を経て早稲田の法科大学院へ
大学卒業後は、そのまま慶應義塾大学大学院理工学研究科へ進み、1992年に修了しています。
そしてJALで12年働いたあと、今度は早稲田大学法科大学院へ入り直し、2007年に修了しました。
理系の大学院と法科大学院、両方を出ているって珍しいですよね。
本人いわく、飛行機の故障原因を探していた頃と、弁護士として争点を整理するときの頭の使い方はよく似ているんだそうです。
応用化学で身につけた「原因を突き止める思考」が、整備士にも弁護士にも一本の線でつながっている。
私はそう見ています。
ちなみに、司法試験に合格したあとの司法修習も横浜だったとのこと。
小学校も、大学も、修習も横浜。
学びの場所が、見事に横浜に重なっているんです。
原沢あつみはミス横浜!若い頃が超美人と話題
原沢あつみさんの若い頃を語るうえで外せないのが、ミス横浜の経歴です。
経歴がカタすぎるぶん、このギャップに驚いた方も多いのではないでしょうか。
ミス横浜に選ばれたのは横浜市制100周年の年
原沢あつみさんがミス横浜に選ばれたのは、1989年のこと。
本人いわく、大学4年生のときだったそうです。
ネット上では「第37代」ミス横浜とも紹介されています。
1989年の横浜は、市制100周年のお祝いムード一色でした。
横浜博覧会が開かれ、横浜ベイブリッジも開通した、まさに記念の年です。
研究室では白衣を着て実験に追われ、その一方でたすきをかけて横浜のPR。
なんですか、その二刀流。
若い頃の写真はどこで見られる?
ミス横浜時代の写真は、本人の公式サイトで紹介されているそうです。
ベイブリッジ開通時に、たすきを掛けてイベントに参加している姿が見られるとのこと。
声を大にして言いたい。
めっちゃ美人やん!
……と文字で叫んだところで、写真を見ていない方には伝わらないのが文章のつらいところなんですよね。
気になる方は、ぜひ公式サイトや公式インスタグラムで見てみてください。
ネットには出どころの分からない画像も出回っているので、見るなら公式が安心です。
ミス横浜の活動で知った「30年先を見るまちづくり」
私が一番グッときたのは、ミス横浜時代のエピソードでした。
横浜の魅力を伝える活動の中で、まちづくりの歴史を学ぶ機会があったそうです。
そこで知ったのが、1960年代に構想された「横浜市六大事業」。
当時次々に形になっていた横浜の街並みが、実は20年、30年かけて実現したものだと知って、とても衝撃を受けたと語っています。
そして市長選に向けたインタビューでも、10年、20年、30年先を見据えることの大切さを語っていました。
ミス横浜は、ただの華やかな思い出ではなかったんですね。
私は、この経験こそが原沢あつみさんのまちづくりの考え方の原点なのではないかと思っています。
1989年に「横浜の顔」を務めた学生さんが、37年後に本当の「横浜の顔」になる。
ドラマでも、ちょっと出来すぎな展開です。
原澤敦美の経歴|JAL整備士から弁護士へ異色の転身
原澤敦美さんの経歴は、とにかく振り幅が大きいんです。
航空整備士から弁護士へと進んだ流れを、順番に見ていきます。
女性整備士がほとんどいない現場で一等航空整備士に
1992年、原澤敦美さんは技術系の総合職として日本航空(JAL)に入社し、整備部門に配属されました。
本人によると、羽田の整備地区には他社も含めて3000人ほどの整備士がいたそうですが、女性は自分ひとりだったとのこと。
エンジンや足回りを扱う、体力勝負の重整備の部門です。
汗とオイルにまみれる毎日でも、飛行機が好きだから仕事は楽しかったと振り返っています。
在籍中には、一等航空整備士の資格も取得しました。
本人の公式プロフィールでは、女性として日本で2人目の取得だったと紹介されています。
ただ、総合職のため現場に居続けることはできず、途中で技術部門へ異動に。
機体トラブルの原因分析などを担当するなかで、「やっぱり現場が好き」という気持ちと、法律を身近に考える出来事が重なったそうです。
そこから、一から法律を学ぼうと決めたんですね。
40代で弁護士に、社外取締役や予備自衛官も
2004年にJALを退職し、法科大学院へ。
一度は不合格も経験したと、本人が明かしています。
40歳を前にして「新しいことに挑戦するなら今しかない」と思ったそうで、同世代としては胸に刺さる言葉なんですよ、これが。
2009年12月に弁護士登録し、本人いわく41歳で弁護士になりました。
2016年からは五十嵐・渡辺・江坂法律事務所のパートナーを務め、企業法務や知的財産、労働問題などを手がけてきました。
弁護士になってからの活動は、次のとおりです。
- 川崎汽船、リコーリース、東横インなどの社外取締役を歴任
- ローソン銀行の社外監査役
- 東京都の入札監視委員を8年間
- 予備自衛官(予備三等陸佐)
川崎汽船の取締役は、市長選を前にした2026年9月に辞任しています。
予備自衛官としては、2019年の台風災害で実際に招集を受け、被災地での活動に携わったそうです。
公式プロフィールに載っている資格も、なかなかのラインナップでした。
- 一等航空整備士
- 弁護士
- 中学・高校の理科の教員免許
- 甲種危険物取扱者
- 航空無線通信士
- TOEIC 910点
- G検定
資格の欄だけで、もう一人ぶんの人生がありそうです。
原沢あつみの旦那や子供は?家族構成を調査
最後は、検索している方が多い家族の話です。
分かっていることと、分かっていないことを分けて整理します。
結婚や夫について分かっていること
原沢あつみさんの公式プロフィールには、旦那さんについての記載はありません。
一方で、自民党の横浜市議・黒川まさるさんが選挙期間中に、原沢あつみさんについて「結婚してからは富岡西で25年間暮らした」と紹介していたとも伝えられています。
ただ、私が調べた範囲では、黒川まさるさん本人の発信の中にこの一文を見つけることはできませんでした。
結婚歴があるようにも読める情報ですが、本人が公表したものではないので、あくまで参考程度に受け止めてください。
夫の名前や職業、現在の婚姻状況については、確かな情報は見つかりませんでした。
学歴や資格はここまで細かく公開しているのに、家族のことはほとんど語らない。
私はこれを、公私をきっちり分けたいという本人なりの線引きなのではないかと受け止めています。
子供の情報と亡き両親から引き継いだ愛犬
子供についても、公表された情報は見当たりません。
子育て支援を政策に掲げているからといって、本人に子供がいるかどうかとは別の話ですよね。
その代わりに本人が語っているのが、愛犬との暮らしです。
公式プロフィールによると、12歳のチワプーの男の子と一緒に生活しているそうです。
愛犬の名前は「ゆず」とも紹介されています。
本人のXによると、約5年前に両親を亡くし、2人が可愛がっていたこの子との時間を大切にするために、横浜から東京へ引っ越したとのこと。
市長に当選したら、横浜に戻る考えも示していました。
忙しい毎日でも、亡くなったご両親の愛犬を引き取って、そばにいる時間を優先する。
旦那さんや子供の詮索より、この話のほうがずっと人柄が伝わってくる気がします。
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まとめ
原澤敦美(原沢あつみ)さんの経歴や学歴、ミス横浜時代、家族構成をまとめました。
ポイントを振り返ると、こんな感じです。
- 選挙では「原沢あつみ」、企業資料では「原澤敦美」と表記が分かれる
- 学歴は横浜国大附属小、桜蔭中・高、慶應理工、慶應大学院、早稲田の法科大学院
- 大学2年の宮古島トライアスロンで初めて飛行機に乗り、航空整備士を目指した
- 1989年、大学4年でミス横浜に選ばれた
- JALの整備士を12年務め、40代で弁護士に転身
- 夫や子供は公表されておらず、今は愛犬と暮らしている
- 2026年10月の横浜市長選で初当選
調べれば調べるほど、「やりたいと思ったら、とりあえず飛び込む人」なんだなと感じました。
50mしか泳げないのにトライアスロン、女性ひとりの整備現場、40歳目前の法科大学院。
どれも、普通なら尻込みする場面なんですよ。
そして37年前に横浜の魅力を伝えていた学生さんが、今度は市長として横浜を背負うことになりました。
ミス横浜時代に学んだ「30年先を見るまちづくり」を、これからどう形にしていくのか。
同じ時代を生きてきた40代・50代の一人として、私も楽しみに見守りたいと思います。


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