彩青(りゅうせい)の出身高校はどこ?本名や家族まとめ&父がサンフレッチェ広島ユース出身って本当?

彩青(りゅうせい)の出身高校はどこ?本名や家族まとめ&父がサンフレッチェ広島ユース出身って本当? エンタメ

演歌界の若き星として注目を集める彩青(りゅうせい)さん。

「名前がかっこよくて芸名っぽいけど、実は本名なんだって!」とか「父親がサッカー選手だったらしい」とか、気になる話題が多い方ですよね。

この記事では、彩青さんの出身高校や経歴、そして家族にまつわるエピソードをまるっとまとめています。

知れば知るほど「なんかすごいな、この人……」ってなる話が続きますので、ぜひ最後まで読んでいってください!

彩青のプロフィールと基本情報

まずは基本のプロフィールから押さえておきましょう。

知っているようで意外と「あれ、そうだったっけ?」となる情報も多いので、サクッと確認してみてください。

本名・読み方・名前の由来

彩青さんのお名前は、漢字にすると少し難しいですよね。

読み方は「りゅうせい」です。

そして、これが驚きポイントなのですが……この名前、芸名じゃないんです!

本名:横田彩青(よこた りゅうせい)

「彩青」という字が芸名っぽくてかっこいいので、最初に聞いたとき私も「絶対芸名でしょ!」と思ったんですが、れっきとした本名なんですよね(笑)。

名前の由来は後ほど「家族」のパートで詳しくご紹介しますが、これがまたエモいエピソードでして。

お父さんの想いが詰まりに詰まった名前なんです。

デビューの際も師匠の細川たかしさんが「彩青っていいね」と言ってくれたそうで、そのまま本名をアーティスト名として使うことになったとのこと。

ちなみに民謡の世界では「三橋彩青(みはし りゅうせい)」という別名義も持っています。

身長・血液型など基本データ

項目内容
生年月日2002年8月29日
出身地北海道・岩見沢市
本名横田彩青(よこた りゅうせい)
身長167cm
血液型A型
所属レコード会社日本コロムビア
マネジメント細川たかし音楽事務所

2002年生まれということは、2026年現在で23歳。

演歌歌手としては本当に若い!

「え、まだそんな年齢なの?」ってちょっとびっくりしませんか?(私はしました)

彩青の出身高校はどこ?中退した理由も気になる

「そもそも高校はどこなんだろう」と気になって調べ始めた方も多いと思います。

実はこの高校の話、単純に「どこ出身か」だけじゃなくて、デビューまでの流れを知るとかなりドラマチックな展開があるんですよ。

岩見沢緑陵高校ってどんな学校?

彩青さんの出身高校は、北海道の岩見沢緑陵高校です。

正式名称は「北海道岩見沢緑陵高等学校」で、1974年に開校した岩見沢市立の公立校です。

学科は「普通科」と「情報コミュニケーション科」の2つがあり、彩青さんがどちらの学科に在籍していたかは公表されていません。

偏差値は46〜48程度で、地元の生徒が多く通う地域密着型の高校という印象です。

ちなみに在学当時も卒業後も、学校の公式アカウントが彩青さんを応援しているのが確認されていて、地元での人気の高さがうかがえます。

こういうの、なんかほっこりしますよね。

高校を中退してデビューへ向かうまでの流れ

彩青さんが岩見沢緑陵高校に入学したのは2018年の春。

でも在籍期間はわずか8か月ほどで、同年12月に中退しています。

「え、なんで中退したの?」と思いますよね。

その答えはシンプルで、デビューのため上京することが決まったからなんですが……実はこの「デビュー決定」の経緯がなかなかドラマチックでして。

高校1年生として同級生と普通に学校生活を送っていたある日、師匠の細川たかしさんから突然連絡が入ります。

「デビューが決まったよ。来年6月26日に」

……え、唐突すぎない(笑)?

本人はインタビューで「驚きと喜びがごちゃまぜ」と語っていましたが、ご両親は「(高校を)本当に辞めていいんだろうか、通信でも行っといた方がいいんじゃないか」と心配したそうです。

それでも彩青さん本人が「ここで歌で生きていくと腹を決めて学校を辞めた」と話していますので、最後は自分の意志で前に進んだということですね。

中退後は上京し、他の高校への編入などもせず、まっすぐ歌の道に進んでいます。

在学中は同級生たちも彩青さんを応援してくれていて、学校祭でデビュー曲をかけてくれたというエピソードも残っています。

これ、なんかいいな〜と思いました。

彩青の経歴を小学校からたどってみる

「一体いつから歌が上手かったの?」と気になる方も多いはず。

答えは、もうほぼ生まれたときから(笑)……くらいの勢いで、幼少期から民謡・三味線・演歌と積み上げてきた人なんです。

5歳で民謡、7歳で津軽三味線を始めた幼少期

彩青さんが民謡を始めたのは、なんと5歳のとき。

北海道・千歳市の「正調江差追分会 北優会」で、福士厚子師・福士優子師に師事しています。

さらに7歳になると、今度は津軽三味線を始めます。

「三味線研究会 夢絃座」で本間孝人師に師事し、こちらもかなり本格的に習っています。

5歳と7歳って、私が同じ年齢のころ何してたかな……と考えたら、砂場で遊んでた記憶しかないです(汗)。

それと同じ年齢の子どもが、民謡と津軽三味線を真剣に学んでいたという事実。

「子どもの可能性って、やっぱりすごいな」とシンプルに思います。

細川たかしとの出会いは「関ジャニの仕分け∞」だった

転機が訪れたのは、彩青さんが11歳のとき。

テレビ朝日の「関ジャニの仕分け∞」に「全国歌うまキッズ」として出演したことが、大きな出会いにつながりました。

その歌声・節回し・声の伸び・表現力……これを聴いた細川たかしさん(現在75歳)が、完全に心をつかまれてしまったんです。

細川さんの言葉がまた印象的で、

「小学生にしては節回しもいいし、声変わりを上手く乗り越えてくれれば弟子にしたい。お父さん、お母さん、歌手にする気ある?」

……と直接ご両親に聞いたそうです(笑)。

これ、11歳の子どもの前でお父さんお母さんに向かって言うんですよ?

サラッとすごいことしてますよね、細川さん。

ご両親は「よろしくお願いします!」と即答したとのことで、こうして彩青さんは大御所演歌歌手の弟子となりました。

声変わりという試練をどう乗り越えたか

弟子入りしたはいいものの、11歳の男の子に立ちはだかるのが「声変わり」という壁です。

細川さんもはじめから「声変わりを上手く乗り越えられたら、一緒に頑張ろう」と条件をつけていましたよね。

この声変わり、彩青さんの場合は中学3年生までの約4年間かけてゆっくり落ち着いたそうです。

しかもその変化がかなりリアルで、「1週間に半音ずつ声が下がっていくのがハッキリわかった」と本人が語っています。

結果的に声のキーが3音半も下がったというから、もはや別の楽器くらいの変化ですよ(笑)。

それでも焦らず「じゃあ半音下げよう」を繰り返しながら、じっくり声と向き合った彩青さん。

この粘り強さと自分の身体への敏感な感覚が、16歳でのデビューにつながったんだと思います。

民謡コンクールで積み重ねてきた受賞歴

声変わりの期間も含め、彩青さんはコンクールで次々と結果を出し続けています。

主な受賞歴を見ておきましょう。

時期大会・内容
小学生時代日本郷土民謡民舞協会 第53回 青少年みんよう全国大会 民謡グランプリ部門 グランプリ大賞・文部科学大臣賞・小学生日本一受賞
小学生時代北海道知事優勝旗争奪 全道民謡決勝大会 三部門制覇(三冠達成)
中学生時代民謡民舞少年少女全国大会 民謡日本一決定戦 中学生の部 優勝・中学生日本一受賞
中学生時代どさんこ甚句全国大会 一般の部(高校生〜64歳まで)優勝・第33代 どさんこ甚句 名人位 受賞

「小学生日本一」「中学生日本一」って、サラッと書いてありますが、めちゃくちゃすごいことですよね。

しかも「どさんこ甚句」は高校生以上の一般の部で優勝しているわけですから、中学生でその年齢の方々を差し置いて1位になったということです。

この積み重ねが、あの16歳でのデビューにつながっているんですよね。

16歳でデビューして今に至るまでの歩み

高校1年生で上京し、16歳という若さで演歌歌手としてのキャリアをスタートさせた彩青さん。

デビューからここまでの流れを、ざっくりおさらいしてみましょう。

デビュー曲「銀次郎 旅がらす」とレコード大賞新人賞

2019年6月26日、日本コロムビアより「銀次郎 旅がらす」でデビュー。

デビューの発表の際、師匠の細川たかしさんは「天才と言っても過言ではないでしょう」と彩青さんを称えるコメントを残しています。

師匠にここまで言ってもらえるって、すごいことですよね。

そしてデビューの年の末、第61回 日本レコード大賞 新人賞を受賞。

一年目でこの結果を出しているんですから、やっぱり実力は本物です。

その後もコンスタントにリリースを重ねていて、代表曲の「津軽三味線ひとり旅」(2020年)をはじめ、2025年2月には「津軽三味線物語」、そして2026年1月には「門前仲町の恋ざくら」を発売しています。

「三刀流歌手」として注目される理由

彩青さんを語るうえで外せないのが「三刀流歌手」というキャッチコピーです。

これ、歌・津軽三味線・尺八の3つを同時にこなすということ。

大谷翔平さんの「二刀流」を超える三刀流……というわかりやすい言い方をする記事もありますが、まあ確かに(笑)。

しかもこれ、師匠の細川たかしさんが「三味線も尺八もやれ」と勧めたことで実現したんだそうで。

師匠の目利きもすごいですよね。

「演歌第七世代」の一人としても注目されていて、テレビ出演も増えています。

「千鳥の鬼レンチャン」にも複数回出演していますし、2025年4月からはラジオ番組「彩青の音緒 昭和っぷ!」(NACK5)もスタートしています。

彩青の家族構成と父親のサッカー経歴

ここが、個人的に一番「聞いて!この話!」ってなったパートです(笑)。

父親のエピソードが、彩青さんという人物の背景をぐっと深くしてくれるんですよね。

父親はサンフレッチェ広島ユース出身のサッカー少年だった

彩青さんの家族構成は、父・母・祖母との4人家族です。

(インタビューやSNSでも兄弟の話が出てこないため、一人っ子の可能性が高いと思われます)

そのお父さんの話が面白くて。

なんとお父さんは広島出身で、サンフレッチェ広島のユースチームに所属していたんです!

Jリーグのクラブユースって、プロを目指す精鋭が集まる場所ですよね。

それだけの実力を持ちながら、最終的にはプロサッカー選手になることはできず、北海道の大学に進学。

そのまま北海道で就職し、出会った方と結婚して、家族を作った……という人生を歩んでいます。

夢を途中で諦めた人のことを「かわいそう」で終わらせてしまいがちだけど、このお父さんのその後の人生がまた、息子の人生につながっているわけで。

なんか、すごくいい話だなと思ってしまいました。

「彩青」という名前はサムライブルーへの想いから生まれた

「彩青」という本名の由来、気になっていた方も多いと思います。

彩青さんが生まれた2002年は、日韓ワールドカップが開催された年です。

サッカー好きのお父さんにとって、それはもう特別な年だったでしょう。

日本中がサムライブルーの色に染まり、日本代表の活躍に胸を熱くしたあの夏。

そんな年に生まれた息子に、「日本代表のように、世界の舞台で輝いていける人になってほしい」という願いを込めて、「彩る」と「青」で彩青と名付けたんだそうです。

……泣ける(笑)。

そんな願いを込められた息子さんが、どんな子だったかというと。

サッカーボールが転がってくると逃げる子だったそうです(笑)。

お父さん、どんな気持ちだったんでしょうね(笑)。

「サッカーは向いてないな」と早々に諦めたお父さん。

結果として息子は歌手になり、日本のステージで輝いているわけですから、願いの叶い方が少し違ったとはいえ、名前に込めた想いは十分に実現しているんじゃないでしょうか。

両親の仕事と趣味が彩青の音楽人生を動かした

お父さんもお母さんも、福祉関係のお仕事をされているとのことです。

デビュー前の彩青さん自身も「将来は大学を出て福祉の仕事に就きたい」と語っていた時期があったそうで、ご両親の影響がしっかり出ていますよね。

でも一方で、両親には共通の趣味があって。

それがYOSAKOIソーラン祭りの踊り手だということ。

2人でチームに入って踊っていたそうなんですが、そのお祭りの場でトラックの上に立って民謡を披露している歌手の姿を、幼い彩青さんが目撃してしまうんです。

「あの人みたいになりたい!」

この原体験が、5歳での民謡スタートにつながったとされています。

お父さんのサッカーへの情熱が名前の由来になり、両親の踊りへの情熱が歌手への入口になった。

なんというか、彩青さんという人は、家族の想いが全部まとまってできた存在なんだなあ……と思うと、ちょっとじんわりきますよね。

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まとめ

彩青さんについて、プロフィールから高校・経歴・家族まで幅広くまとめてきました。

最後にこの記事のポイントを整理しておきますね。

  • 出身高校は岩見沢緑陵高校(北海道)。高校1年生の12月に中退し、翌年6月のデビューのため上京。
  • 本名は横田彩青(よこた りゅうせい)。芸名のようなかっこいい名前だが、れっきとした本名。
  • 5歳で民謡、7歳で津軽三味線を開始。11歳で「関ジャニの仕分け∞」出演がきっかけで細川たかしさんの弟子に。
  • 小学生・中学生で民謡日本一を獲得するなど、デビュー前からコンクールで結果を出し続けてきた実力者。
  • 歌・三味線・尺八の「三刀流歌手」として活動中。演歌第七世代の一人として注目されている。
  • 父親はサンフレッチェ広島ユース出身のサッカー少年。プロにはなれなかったが、日韓W杯への感動から息子に「彩青」と名付けた。
  • 家族構成は両親・祖母との4人家族。兄弟に関する公表はなく、一人っ子の可能性が高い。

個人的に一番グッときたのは、やっぱり父親の話でした。

サンフレッチェ広島ユースでサッカーに青春をかけて、プロになれなかったお父さんが、息子にワールドカップの感動を名前として残した話。

で、その息子はサッカーから逃げる子に育って(笑)、気づいたら演歌歌手になってた……というこの流れ。

人生って、計画通りにはいかないけれど、どこかちゃんとつながっているんだな〜と感じさせてくれるエピソードでした。

彩青さんはまだ20代前半。

これからどんな歌を届けてくれるのか、楽しみに応援していきたいと思います!

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