「オモウマい店」で何度も紹介されている、能登・宇出津の寿司屋「津久司」。
店主の坂津世史さんと、数字の8が大好きな息子・あおいくんの掛け合いに、思わずほっこりしてしまう人も多いですよね。
そんな津久司親子ですが、番組を見ていると気になるのが「母親はいないの?」「奥さんはどうしているの?」という部分。
この記事では、津久司の母親がいない理由や奥さんが番組に出てこない背景について、分かっている事実と私なりの考察を交えてまとめていきます。
【オモウマい店】能登の寿司屋「津久司」の親子が話題
まずは津久司親子について、簡単におさらいしておきますね。
石川県鳳珠郡能登町宇出津にある寿司屋「津久司」。
店主の坂津世史さんは、親父ギャグを連発する明るいキャラクターで、番組では小峠英二さんに「ずっとスベってんだ」とツッコまれるほどの陽気さです。
そんな坂津世史さんと二人三脚でお店を切り盛りしているのが、息子のあおいくん。
数字の8が大好きな息子・あおいくん
あおいくんといえば、数字の8が大好きなことで有名です。
「8大好き少年」と呼ばれるほどの徹底ぶりで、番組内でもたびたびその愛が紹介されていますよね。
お父さんのことを「トット」と呼び、いつも元気いっぱいにお店の手伝いをする姿は、見ているこちらまで元気をもらえます。
2022年の初登場からもう何年も経つのに、いまだに新鮮な気持ちで応援してしまう視聴者が多いのも、この親子の魅力だと思います。
津久司の母親はいない?実は「いない」と断定されてはいない
さて、本題です。
検索してみると「津久司 母親 いない」「津久司 離婚」といったワードがよく出てきますが、私が調べた範囲では、坂津世史さんが母親の不在をはっきり公言したことは一度もありません。
つまり「いない」と断定できる情報は、実はどこにもないんですよね。
分かっているのは、あおいくんが2歳半のころから坂津世史さんが一人で育児をはじめたということ、そして番組内で母親の存在について語られたことがないという事実だけです。
離婚したのか、それとも別の事情があるのか。
そのあたりは、坂津世史さん自身が公にしていないため、誰にも分からないというのが正直なところです。
ここ、けっこう大事なポイントだと思うんです。
「母親がいない」という言葉だけが独り歩きしていますが、実際は「触れられていないだけ」であって、「存在しない」わけではないんですよね。
私はこの違いを、まず最初にはっきりさせておきたいなと思いました。
奥さんが出てこない理由を考えてみた
では、なぜここまで長く放送されているのに、母親の話題が一切出てこないのでしょうか。
ここからは、私なりの考察を交えてお話ししていきますね。
離婚か死別か、公表されていない母親のこと
坂津世史さんは過去の放送で、31歳のときに大きな病気を患ったことを明かしています。
そのうえで「僕にとっては奇跡の確率で生まれた子。どうしても僕が育てたい」と語り、2歳半のあおいくんを一人で育てる決意をしたそうです。
この発言から分かるのは、あおいくんの誕生自体がとても大きな出来事だったということ。
一方で、母親がどんな人でなぜ一緒にいないのかについては、坂津世史さんは一切言及していません。
離婚なのか、あるいは別の事情があるのか、ここは完全に非公開のままです。
土曜日は保育所に子どもを預けず、おんぶをしながらお店を切り盛りしていたというエピソードもあり、坂津世史さんが本当に一人で育児と仕事を両立させてきたことがうかがえます。
番組が母親に触れないことへの世間の反応
こうした状況について、視聴者の間でもいろいろな声が上がっています。
ネット上のQ&Aサイトなどでも、この話題についてさまざまな意見が寄せられていました。
- 触れられたくないことは放送しないのが当然という意見
- あえて触れないところが逆に気になるという意見
- 恥ずかしさなどの理由で本人が出演を望んでいないのではという推測
- 家族関係を深掘りしなくても番組は十分面白いという意見
こんなふうに、賛否というよりは「そっとしておいてほしい」という空気の意見が多い印象です。
私も同じ気持ちで、テレビに映らない部分にまで踏み込む必要はないと感じています。
ただ、これだけ長く親子二人の姿が放送されていると、視聴者が気になってしまうのも自然な流れですよね。
私は、坂津世史さんが母親の話題をあえて避けているとしたら、それはあおいくんを守るための選択なのではないかと見ています。
小さいころの複雑な事情を、テレビというオープンな場で語る必要はありませんし、あおいくんが大きくなったときに困らないよう配慮しているのではないかと感じるんです。
睾丸がんを乗り越えて授かった命とシングルファザーの決意
坂津世史さんのシングルファザーとしての姿勢を語るうえで欠かせないのが、31歳のときの病気の経験です。
若くして大きな病気を患い、子どもを持つことをいったんは諦めていたという坂津世史さん。
そんな中で生まれたあおいくんを、坂津世史さんは「奇跡の確率で生まれた子」と表現しています。
だからこそ「どうしても僕が育てたい」という強い覚悟につながったのだと思います。
お店の経営で何か迷ったときの判断基準は「これを自分の子どもに食べさせたいか」なのだそうです。
このエピソードひとつとっても、坂津世史さんがどれだけ息子を大切にしているかが伝わってきますよね。
頑張れる原動力もあおいくんだと語る坂津世史さんの姿には、私も何度も胸が熱くなりました。
母親のことが分からないぶん、余計にこの父子の絆の深さが際立って見えるのかもしれません。
坂津世史さんの経歴とプロフィール
ここで、坂津世史さんのこれまでの歩みも簡単に整理しておきますね。
- 名前:坂津世史(さかつよし)
- 年齢:49歳前後(2026年7月時点/高校卒業年などからの推定)
- 出身:石川県鳳珠郡能登町
- 学歴:石川県立珠洲実業高等学校
- 中学時代:柔道
- 高校時代:ウエイトリフティングでインターハイ出場経験あり
高校卒業後は横浜の寿司店で修行を積み、その後は金沢の回転寿司店で経験を重ねていったそうです。
横浜での修行期間は、4年とも6年とも言われていて、正確なところははっきりしていません。
一度は地元・珠洲に戻ってカフェや焼き鳥屋を営んでいた時期もあり、その後また金沢の回転寿司店へ。
再び実家に戻ったタイミングで、お母さんから「すし屋をやってみたら」と勧められたことが、津久司の開店につながったといいます。
開店後もご両親の看病でしばらく休業した時期があったそうで、2017年に「ランチ8貫550円」というメニューだけで再スタートを切ったのが、今の津久司のはじまりです。
こうして経歴を並べてみると、決して平坦ではない道のりを歩んできた方なんだなと、あらためて感じました。
能登「津久司」の現在は?2026年に店舗営業を再開
最後に、津久司の最新状況についても触れておきますね。
2024年1月の能登半島地震で、店舗と自宅の両方が大きな被害を受けた津久司。
しばらくは店舗での営業ができず、坂津世史さんは全国各地を巡る出張寿司というスタイルで営業を続けてきました。
そして2026年4月13日にプレオープン、同月25日にグランドオープンを迎え、約2年4か月ぶりに店舗での営業を再開しています。
プレオープンを迎えたのは、能登半島地震からちょうど833日目だったそうです。
移転という選択肢もあったはずですが、坂津世史さんは以前と同じ宇出津の場所での再開を選びました。
このあたりに、坂津世史さんの能登への思い入れの強さが表れているように感じます。
私は、震災でこれだけ大変な思いをしたにもかかわらず、あえて同じ土地に戻ってお店を建て直した決断こそ、この親子の物語のいちばんの見どころなのではないかと思っています。
再開後は300円のミニミニ漬け丼をはじめ、以前と変わらないリーズナブルな価格のメニューも用意されているそうです。
2026年7月14日放送のオモウマい店でも、この営業再開までの日々が特集され、あらためて大きな反響を呼びました。
店舗営業と並行して出張寿司も続けているとのことなので、能登に行けなくても坂津世史さんのお寿司に出会えるチャンスは、まだまだありそうですね。
まとめ
ここまで、津久司の母親がいない理由や奥さんが番組に出てこない背景について、私なりにまとめてきました。
改めて振り返ると、以下のようなことが分かりました。
- 坂津世史さんが母親の不在をはっきり公言したことは一度もない
- あおいくんが2歳半のころから坂津世史さんが一人で育児をはじめた
- 離婚か死別かなど、事情については完全に非公開のまま
- 31歳のときに大きな病気を患い、その後あおいくんを授かった
- 視聴者の間でも「そっとしておいてほしい」という声が多い
- 2026年4月に約2年4か月ぶりに店舗営業を再開している
母親のことが語られない理由は、はっきりとは分かりません。
でも私は、それは坂津世史さんなりの、あおいくんへの愛情表現のひとつなのではないかと感じています。
震災を乗り越えてお店を再開させた今も、変わらず親子二人三脚で歩み続ける津久司。
これからも、坂津世史さんとあおいくんの明るい笑顔を、応援していきたいと思います。


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